「必要な変化」を想像して選び取る。
その選択を自分の手で正解に変えていく。

石山咲

2019年入学 第3期生

ブラウン大学

UWC ISAK JAPAN出身

高校1年生の時に通っていた高校を中退し、自らの意思でインターナショナルスクールに入学し直す選択をした石山咲さん。現在はブラウン大学で認知科学と比較文学を学んでいます。

高校1年生の時に通っていた高校を中退し、自らの意思でインターナショナルスクールに入学し直す選択をした石山咲さん。現在はブラウン大学で認知科学と比較文学を学んでいます。 要所要所で考え、選択をしてきた石山さんに、これまでの歩みと大学での学びによる自身の変化について聞きました。

要所要所で考え、選択をしてきた石山さんに、これまでの歩みと大学での学びによる自身の変化について聞きました。

August, 2022

日本の一貫校から、インターナショナルスクール、
そして海外の大学進学へ。

― 石山さんは大学に進学する際、将来の目標を「言語、地域を超えた相互理解を促し、多様性の中に協力関係を築く」こと、とされています。違うバックグラウンドを持つ者同士の相互理解に、課題を感じるきっかけは何だったのでしょうか。

ソルボンヌ大学での1年を終え、フランスから帰国したばかりの石山さん。

きっかけは、全寮制のインターナショナルスクールでの経験です。80ヶ国ほどから集まってきている学生たちと一緒に暮らしていく中で、相手を傷つけようと思っているわけじゃないのに、行き違いが生まれてしまうことに歯痒さを感じる場面が何度かありました。自分が生まれ育った国では、仲良くなれるきっかけになるはずのジョークが場を静まり返らせてしまったり、「そんなつもりじゃなかった」でお互いがすれ違ってしまったり…。大学進学に向けて、こういう状況に対してどうアプローチできるかなと考えるようになったんです。

アプローチする方法として、当時から漠然と思っていたのは、フィクションに没入する感覚、ひいては想像力が、コミュニケーションの鍵になるんじゃないかということ。私は小さい頃から本を読むことが好きで、特に翻訳文学が好きなのですが、自分とは言語も環境も違う人の物語に共感できる感覚を、すごく不思議に感じていました。そこで、物語を通して、違うバックグラウンドを持つ相手に共感できるというのが、日常の一つ一つのコミュニケーションの中でもできるんじゃないかと思ったんです。同時に、脳科学に興味を持つ作家が多いことにも気づいて、そこにも人類に共通する共感のメカニズムを理解できるヒントがありそうだなと感じました。大学では、脳科学を含む認知科学と、さまざまな言語の文学作品を扱う比較文学を学びたいと気持ちが固まっていきました。

― 認知科学と比較文学を学ぶ場所として、海外の大学、特にブラウン大学を選んだのはなぜですか?

海外の大学に進学したかった大きな理由は、自分が知っている世界を広げたいと思ったから。幼稚園から高校1年生まで、一貫校に通っていたので、その頃から自分が見えている世界の狭さに対してすごく焦りを感じていました。それで、高校1年生の時にその一貫校を中退して、インターナショナルスクールに入学し直したんです。そのインターナショナルスクールで、自分が当たり前だと思っていたことや価値観が、ガラガラと崩れ落ちていくという体験をして…。3年間の学校生活の中で、違う国からひとりで留学して来ている同級生と比べると、慣れ親しんだ日本にいる私はやっぱり見えてる世界がやっぱり狭いんじゃないか、という気持ちがずっとあったんですよね。そこからもう一段階ジャンプして、自分の知らない場所に行って視野を広げたいというのが、大学を選ぶ上での大前提としてありました。

ブラウン大学は、高校生の頃に初めて知った海外の大学で、ずっと憧れていたんです。学生たちがバトンを繋ぎながら書いているブログが人気で面白くて、こういう楽しい人たちがいるところっていいなって、思っていました。加えて、インターナショナルスクールでお世話になった先生がブラウン大学の卒業生だったり、仲の良い友達が進学したりと、何かとご縁を感じることも多くて。大学についてリサーチしていく中で、脳科学と文学を両方研究している教授がブラウン大学にいるというのも知り、「私はもうここに行くんだな」と、自分の中ですごくしっくりきたのを覚えています。ブラウン大学を第一志望として出願しました。

アメリカ・ブラウン大学での4年次を控えた夏休み。卒業後の将来についても考えはじめている。

“授業スタイルの常識”が、
1年次からひっくり返る衝撃。

― ブラウン大学に入学して、その脳科学と文学を専門とされている教授の授業はもう受けられました?

1年次に早速受けました。神経美学という新しい学問の授業で、文学だけでなく広く芸術の"美"の原点を探るという内容で、本当に面白かったです。美しい文章を読むと脳のどこが活性化しているのか分析した文献を読んだり、課題のために本を読む時と自分が楽しくて読む時とでは、脳の活動がどう変わるかを学んだり。当初、私は扱う論文や内容を全て吸収していくというスタイルでその授業に臨んだのですが、授業が始まったとたん、生徒みんながこの研究論文はおかしいって一斉に批判し始めたりして(笑)。美しいという定義はそもそも何なのか、美しいと醜いの二項対立で議論していいのか、美しいの対義語は必ずしも醜いではないんじゃないか、ということをみんなで話し合って、批判して…。こういうふうに授業をやってもいいものなんだって、それがすごく自分にとっては新鮮でした。実際、研究者の間でこうした議論は日々なされているわけですが、"アカデミアで学問に挑む"というのがどういうことか、それを目の当たりにした衝撃がありましたね。

― ブラウン大学入学当初から、フランスの大学で学ぶことも希望されていましたね。

そうですね、出願エッセイにもフランスに留学したいですというのは書いていました。当初の動機は単純で、漠然とフランスに行きたいという気持ちから。でも実際にブラウン大学で勉強を始めてみてから、文学を勉強する上では、フランスで学ぶというのが避けては通れない道だと思うようになりました。哲学的な理論から文学を分析するということがアカデミアではよくあるのですが、その理論のベースをフランスの学者が作っていることが多いんです。それで、自分が大学で勉強したいことにも合致しているなと感じて、3年次からパリのソルボンヌ大学に留学することを決めました。

フランス・ソルボンヌ大学に進学。
最もハードな1年が始まった。

ブラウン大学の1年次からフランス語を勉強し始めていたものの、ソルボンヌ大学に入ってからが本当に大変で…。初日のノート、1行ぐらいしか取れてなかったんですよ(笑)。学期に課題が1つしかなく、それで全てが決まるという授業が結構ある中で、どう対策すればいいのかわからないという状況で。教授に対策を聞いてみると、友達に聞いてくださいと言われて、そこで友達に聞くと、教授に聞いた方がいいと言われて、そこをぐるぐるする…ということもありました。私の言語がつたないから、ちょっと面倒くさいって思われているんじゃないかとか、そういう葛藤も感じましたね。本当に単位が一個も取れないかもしれないと思って、これまでの大学生活の中で一番大変な1年でした。

― そのハードな1年を、どうやって乗り越えていったのですか?

どうやって…。正直ちょっと、よくわからないんです。けど、なんとかなったんですよ…(笑)。でも前提として、ブラウン大学からソルボンヌ大学に行ったというのがあったので、自分が助けを求めれば、現地にいるブラウン大学のコーディネーターの方が相談にのってくれたり、現役の教授をつけてくれたりというサポート体制がありました。躊躇せずに助けを求めて、とにかく前に進んでいく、という感じでしたね。ブラウン大学は、同じ大学のコミュニティに属している人たちに対して、助け合いながら頑張っていくという校風があるんです。特に1年次だと、教授のアドバイザー、学生のアドバイザー、留学生のための学生のアドバイザーと、3人の方がついてくれますし、フランス留学中も手厚くサポートしてくださって、すごく助けられました。

多様性の中に成立する相互理解を求めて、
今、辿り着いたこと。

― ブラウン大学で2年、ソルボンヌ大学で1年を過ごし、そしてこれから大学最後の1年がブラウン大学で控えています。入学当初に考えていた将来の目標は、3年間の学びや気づきを経て、何か変化したところはありますか?

ブラウン大学で過ごす最後の1年は、Studio Foundationというビジュアルアートの授業も受講する予定。「大学にゲストで訪れるアーティストからインスピレーションを得て自分の作品を製作したり、2時間黙々と空き缶を描いたり。専攻が決まってからも他の分野を探求してみる、という『つまみ食い』を大切にするブラウンらしい過ごし方だと感じています」

当初、「言語、地域を超えた相互理解を促し、多様性の中に協力関係を築く」ためにイメージしていたのは、認知科学者になって、共感や誤解のメカニズムを分析して、何か解決の糸口になる法則やデバイスに繋げていく、ということでした。人類に共通してある何かを見つけて、トップダウン的に解決策を提示するイメージですね。でも、実際に大学で学んでみて、私がワクワクするのって “おおむね共通する部分”よりも、“そこから、こぼれ落ちていくもの”だと気づいたんです。授業で行ったディスカッションでも、みんながおおむね合意の方向に行っている時に、正反対のことをいう人の意見だとか、データを取った時に、おおむね見られる相関や共通点よりも、そこから例外として認識される部分に、より惹かれるようになりました。

“全てではない、多くの人”に有効なものを開発する意義をあまり感じなくなった、というのが、この3年間の一番大きな変化、気づきだったかなと思います。社会に対して1つのアウトプットをするというよりは、対個人で、コミュニケーションをとっていく中で、その人と解決策を導いていく過程の方が好きだなと感じているのが、今の私、です。

College Life

飛躍した直後は辛くても、
これから“正解”にしていけばいい。

― 最後に、海外の大学への進学を考えている中高生のみなさんに、石山さんご自身の経験から何かアドバイスはありますか?

自分がこれまでいた場所から全く違う環境へ、“大きくジャンプ”した時に、その直後はやっぱり後悔したり、元にいた場所にいた方が良かったんじゃないかと思うことって、どうしてもあると思うんですよ。もしかしたらジャンプする前から、そう感じることがあるかもしれません。私も、ソルボンヌ大学へ留学した時、一貫校を中退してインターナショナルスクールへ入学した時、そういう思いが何度も頭をよぎりました。そんな時に私が大事にしていたのは、その選択をこれから正解にしていけばいい、ということ。「大変だったんだけど、行ってよかった」と話をしているところをイメージしながら、私は自分を奮い立たせて乗り切ってきました。

特に、「インターナショナルスクールでの高校生活、楽しかったですか」ってよく聞かれるんですけど、私としては、楽しかった、とは全然違うものだった気がしています。けど、自分にとっては必要だった、ということは確実に言えます。進路のことを考えるのって、辛いことの方が多いと思うんですが、「大変だったけど、選んでよかった」と思う自分を想像しながら進んでいくと、結果にかかわらず、行く道で起こる全てのことを自分で肯定してあげられるんじゃないかと思います。

石山咲 2019年入学 第3期生

ブラウン大学

UWC ISAK JAPAN出身

アルバイトで貯めた資金や奨学金で、中高時代にはオーストラリア、中国、アメリカ、イギリスへの短期留学を経験。ミュージカルのサウンドトラックで英語を勉強し、大学でも引き続き学内のミュージカルプロダクションに携わる。4年次に取り掛かる卒業論文では、井上荒野さんの小説『あちらにいる鬼』を翻訳する予定。

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