自然、生態系、そして教育へ、広がる視点。
“人を育てること”はきっと究極のサステナブル。

向井彩野

2018年入学 第2期生

ハーバード大学

東京学芸大学附属中等教育学校出身

ハーバード大学に進学し、今年2021年、4年生を迎えた向井彩野さん。在学中はタンザニア、沖縄、北海道に足を伸ばし、そのパワフルさは柳井正財団の他の奨学生たちから、「この人は、すごい」と尊敬されるほど。

ハーバード大学に進学し、今年2021年、4年生を迎えた向井彩野さん。在学中はタンザニア、沖縄、北海道に足を伸ばし、そのパワフルさは柳井正財団の他の奨学生たちから、「この人は、すごい」と尊敬されるほど。 卒業を間近に控えた向井さんに、これまでの学生生活と彼女が見据える未来について話を聞きました。

卒業を間近に控えた向井さんに、これまでの学生生活と彼女が見据える未来について話を聞きました。

August, 2021

根っからの“自然好き”。コロナ禍では、
海洋研究所の助手とハーバード生のWワーク。

― 向井さんは高校生の頃から、生態系、自然に対して並々ならぬ思いがあると伺っています。ハーバード大学で専攻しているのも生態学ですね。

はい。大学や専攻を選んだ時、生態系を勉強していきたいというよりは、少しでも長く自然の中にいたいという思いがありました。もともと両親がアウトドア好きで、私が幼い頃から夏は登山、冬はスキー、海外の国立公園にも連れて行ってくれていたんですよね。それが楽しくて、自然を好きになっていって。高校3年生の時に、東北の震災復興ボランティアの一部として、初めて“フィールドワーク”をする機会がありました。被災するのは人間だけじゃなく、生き物も同じ。地震や津波があると、生態系もすぐ崩れてしまうので、自然の復興がどれくらい進んでいるのかを調べるフィールドワークを手伝わせていただいたんです。それまで“観光客”としてしか自然を見ることができなかったのが、研究者や学生という立場だと、フィールドワークを通してもっと自然と近づくことができると思って、生態系を勉強してみようと思うようになりました。

― 大学受験時には、「生態系が本来の自然回復力を維持しながら有機的に行う“生態系農業”の普及」を将来の目標として挙げていますね。今、大学4年生ですが、この目標は今も変わっていないですか?

全然、変わってますね!(笑)それは私が高校3年生の時に携わった、農業のプロジェクトに大いに影響されていますね。

ハーバード大学の中でも象徴的な建物の1つでもある「Baker Library」を背景に。

― 高校3年生の自分と、大学4年生の自分とでは、経験や知識の幅もだいぶ違いますもんね(笑)。それでは、今の向井さんは、どんな将来を描いていますか?

まず直近は、何をやりたいのか分かっていないんですよ。本当に、全く分かっていません!もうすぐ卒業で、どうしましょうっていう段階なんですけれども。なんですが、最後に行き着くところだけは、私の中で決まっていて。最後はやっぱり、何かしらの形で“教育者”になりたいと思っています。“教育者”になるっていう夢も、実はこの数年で少し変遷を経てきました。大学1年生の頃は、大学教授になりたいと思っていたんですよ。ハーバード大学の先生たちが、すごくいい人ばかりで。もうとにかく、「僕の話を聞いてほしくてたまらないんだ〜!」、「お願いだから私の話を聞いて〜!」みたいな、みなさん生き生きと楽しそうに授業をされて、その授業も面白くて…。先生としてだけじゃなく、教育者として、研究者として、人として本当に尊敬できる、好きになれる魅力的な人たちばかりなんですよ。そんな先生たちに刺激を受けて、学生もどんどん質問して、すごく生き生きと勉強していますし。それを見て、この教育を何とかして日本に持って帰りたいって思ったんですよね。私はこんな素敵な経験をさせていただいているからこそ、日本の大学教育に貢献したいと。その気持ちを持ち続けて大学3年生になって、コロナ禍の間、日本にある海洋研究所で研究助手を経験したんですよ。大学教授になるには、PhDを取って研究者になるのが一般的ですし、私はその時、研究を好きでやっていたし、興味があったので。コロナ禍の間、秋学期は北海道の海洋研究所、春学期は沖縄の西表島にある海洋研究所に行きました。それぞれ2〜3ヶ月くらい、それぞれの土地で研究助手をやりながら、ハーバードの授業をオンラインで受けるという、二足のわらじ状態でしたね。

自然は好きだけど、“仕事”じゃない?
見逃せなかった、気持ちの変化。

― アメリカとの時差もある中で、なかなかハードな…。

伸びやかな表情と、真っ直ぐな言葉で話をしてくれた向井さん。

いやいや、全然、睡眠時間は取ってましたし、釣りとか、虫とりとかもしてましたし。やっぱり海洋研究所だから、海が目の前にあって、自然に満ち溢れた環境だったので、結構アウトドアライフも楽しみました。そこで研究助手をやって、「あれ、私、これ(研究)好きか?そこまで合ってないかも」と迷い始めたんですよね。“研究”って、データを集める前準備から、フィールドワークでデータ収集、分析、論文にまとめるまでの全てが“研究”。例えば、私が北海道で手伝ったのは川のサンプリングで、先生が川底からごっそり採取した泥とか土の中から、貝や小さいエビなどを分ける作業でした。「これ貝、エビ、貝、貝、エビ、貝…」って、300個くらいある中からひたすら仕分けていくんですけど、なんか、ふと立ち止まってしまったんですよね。研究で行うフィールドワークは好きだけど、私が好きなのは、研究の中でも“フィールドワークだけ”だということに気づいてしまって。その時に、以前、北アルプス穂高岳にある涸沢(からさわ)小屋という山小屋で1ヶ月間の住み込みバイトをした時の経験を思い出したんです。そこの支配人は高校を卒業してから20年以上、ずっと涸沢小屋で働いてきた方で、ある日、私が「じゃあ支配人は山が好きなんですね」と聞いたら、「いや、山は嫌いだ」と言うんですよ。「好きなことは仕事にしたくない」と返されて、正直、その時は“好きなことを仕事にしたくない”意味が全然分かりませんでした。その言葉が、北海道でフラッシュバックして。このまま研究をしていたら、“フィールドワーク以外は楽しくない、嫌だ”に引っ張られて、きっと研究対象の自然も嫌になってしまうんじゃないかと、すごく悩みました。その時、“自然は私にとって仕事じゃない。趣味だ”と思って、大学教授、研究者になるのは辞めたんですよね。でも今、卒業研究に取り組んでいるんですけど、それがもう本当に楽しくて、他の人のアシスタントではなく、本当に自分がやりたい研究だったらずっと続けられるかも、って思って。だから今は将来どうしようか混乱している状況です(笑)。

― 向井さんは、微妙な気持ちの変化を素直に捉えてきたんですね。自分をしっかりモニタリングできている気がします。

そう、すごいモニタリングしてます。正直、アメリカですごした4年間で一番学んだことは、自分と向き合うことの大切さですね。自分の中ではちゃんと考えて決断しているつもりでも、知らず知らずのうちになんとなく決めて進んでしまっていることってたくさんあると思うんです。でも、そういう一つ一つに丁寧に向き合って、自分はどうしたいのかをちゃんと考えることで、私は本当に充実した、幸せな人生を生きられていると思います。今振り返ると、大学に入ってから将来の夢に対する気持ちにいろんな変化がありました。ただ、“教育者”という最終的な目的地は変わってないんですよ。大学教授じゃないかもしれないだけで、人を育てる場所って、本当にいろいろあると思うので。今は、本当に広い意味で、“人を育てたい”と思っています。どの分野かも分からないし、どこで教えているのかも分からないですけど。人を育てるのが、日本にとって、一番サステナブルな貢献の仕方なんじゃないのかなと思っています。日本って、別に資源を持っているわけでもなく、本当に、土地と人しかないような島国じゃないですか。そんな日本にとって唯一、無限に広げていけるリソースは人間だけなのに、昔から、日本は人間の価値をすごく低く見積もる傾向にあると思っています。ここ最近、人を育てるための教育費をどんどん削減してきたのがその例です。本当に、サステナブルじゃない国の典型だと思います。

フィールドワークだけでなく、パーカッションの部活や「Japan Society」の活動にも勤しんだ3年間。さらに忙しい(?)4年次は始まったばかり。

“仲間たちのために行動ができる人”
を育てたい。

― 向井さんの言う“サステナブル”について、もう少し詳しく伺ってもいいですか?“サステナビリティ”というと、どうしても地球環境を指すイメージがあるのですが、もっと広い意味の“サステナビリティ”なんですね。

そうですね。サステナビリティって、自然環境だけに適用される考え方じゃなくて、人間の生き方そのものだと思っています。あまりにも人間が、自分のことだけを考えすぎて生きていると、地球環境が崩れていくし、人間社会も崩れていきます。それは企業のあり方にも言えて、労働者をただの消費財としてしか見ていないような人たちが非サステナブルな仕事環境を作っているから、過労死などの問題が出て、いずれ会社が崩壊していくわけです。自分だけが楽しい思いをできればいいや、とか、今お金を稼げればいいや、とか、そういう自分本位な考え方こそが、人間をはじめ、全てを包括した意味での環境を壊していくんだと思います。だから、人を育てるにしても、常に“自分が、自分が”じゃなくて、コミュニティに貢献できる人を育てていけたらいいなと思っています。

― 未来の教え子たちには、どんな価値観を、向井さんから学んでほしいと思っていますか?向井さんの教え子たちは、何か共通して“大切なもの”を、きっと持っているんだろうなと感じました。

う〜ん、そうですね…。コミュニティ意識というか、仲間意識、ですかね。仲間のサイズって、人それぞれでいいと思うんですよ。友達3人でもいいし、家族でも、部活の仲間でも、学校でも。もっと広く、地方とか、国まで広げてくれたっていいんですけど。まずは自分がそこに属しているんだなという意識を持った上で、その仲間たちを大事にして。ただ、その人それぞれを大事にするんじゃなくて、この仲間たちのために自分は何ができるだろう、どうやったら貢献できるだろうっていうのを、考えて、行動していく姿勢を持ってほしいかなあ…。自分のコミュニティを愛して、そのために動いていけるような人になってくれたらいいのかなあ。うん、そうですね、そういう人たちを育てていくのが、私の最終的な目的地ですね。そこまでの道のりはまだ未定ですけど!

College Life

― 最後に、もしかしたら将来、未来の教え子になるかもしれない中高生のみなさんに、メッセージをお願いします。

大学に来て 、“やりたいこと”が絶対に見つかるとかは、ないです(笑)。大学に来て、見失う場合もあります。でもそれぐらいがいいと思う。だって、大学4年間で決めろみたいな風潮が、日本だけじゃなく世界中であるじゃないですか。私は今、20歳ですが、まともな思考と意識があったのはせいぜい10年間ぐらい。ここから先、70年近くある人生を4年間で決めるなんて、無理ですよ!みんな、大学受験をする前に、“何かやりたいことを見つけていなきゃ呪縛”に囚われていると思うし、私もそうでした。私が大学で、生物学を勉強するのを選んだのは“楽しいから”で、“私の将来的にこれで合ってるかな”と思って勉強してたわけじゃないんですよね。私はここに来て、その呪縛から解き放たれて、めちゃくちゃ迷っているわけですが(笑)、でもそれでいいと思う。迷っていいと思う、っていうのが1つ。もう1つは、“選ぶ”こと。私は、留学が必ずしも正解だとは思っていなくて、日本で勉強するのもありだと思います。ただ、海外っていう選択肢を知った上で日本を選ぶのと、何も考えずに日本を選ぶのとでは、全然違う。それは“選んで”ないです。だから、選択肢を調べて、知って、自分の頭で考えて、“選ぶ”こと。そうすれば、絶対に後悔のない充実した人生を歩けると思います。

向井彩野 2018年入学 第2期生

ハーバード大学

東京学芸大学附属中等教育学校出身

東京生まれ、東京育ちのひとりっ子。海外大学への進学を希望する学生たちに向けて、SNS(インスタグラム@aya_love_harvard)や自身のYouTubeチャンネル「アヤの白熱!留学教室」、Webサイト「海外進学Discoverers' Base」を通して、積極的なサポートを行う。

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