日本から中国、アメリカ、イタリアへ。
世界が広がるほど、自分のことが見えてくる。

河本航志

2020年入学 第4期生

プリンストン大学

UWC Changshu China出身

アメリカ・プリンストン大学で学ぶ河本航志さんが、“日本の外”に目を向けるきっかけになったのは、小学校で出会った一人の友人でした。

アメリカ・プリンストン大学で学ぶ河本航志さんが、“日本の外”に目を向けるきっかけになったのは、小学校で出会った一人の友人でした。そこから様々な国、文化、人に繋がるドアを開け、現在は公共政策·国際関係学を専攻する彼に、自身の原点と大学での学びについて、お話を伺います。

そこから様々な国、文化、人に繋がるドアを開け、現在は公共政策·国際関係学を専攻する彼に、自身の原点と大学での学びについて、お話を伺います。

August, 2023

誹謗中傷を前に
自分の無力さを痛感した

― 河本さんは大学入学前から、政治を「最大の関心を持つ分野」と位置づけ、「政治学」「公共政策学」の専攻を希望していたと聞いています。学びたい分野がそこまで明確だったのには、何か理由があるのでしょうか。

さかのぼると、小学生の頃、尖閣諸島領土問題などによる日中関係の悪化の影響を受けて、中国から日本に移住した人たちやその家族が誹謗中傷を受けているのを目の当たりにした経験が、理由の原点にあります。誹謗中傷を受けた人たちの中には、僕の友人もいました。その友人は、僕が中国語を学び始めたきっかけでもあって、そこから僕は日本以外のコミュニティの方々と交流するようになったんです。その矢先、日中関係が悪化し、友人は差別や偏見の対象となって…。何かしたいと思ったけれど、結局は中国語を少し話せるだけで、その時の僕には影響力も何もありませんでした。それが情けなかったし、さらに感じたのは、結局は国レベルじゃないと動かせない問題だということ。そこから、社会を動かす力学、国際政治に興味を持ち始めました。

高校までずっと日本の公立校で教育を受けてきた中で、高校2年生の時に、全寮制インターナショナルスクールの中国校に転入したのも、国際政治というものを理解するにはもっと視野を広げないと、と思ったからです。インターナショナルスクールでは中国以外の国から来た生徒たちとも友達になり、彼らから波瀾万丈の国際情勢を聞くことで、世界で起きていることをより身近に感じるようになりました。高校最後の年はCOVID-19の影響で緊急帰国することになったんですが、その時も自分なりに、もし各国がもっとお互いに興味を持って、助け合えたら、もう少し状況の悪化を低減できていたかもしれないと感じていて、より一層、国をまたいだ政治の重要性を意識したと思います。それで、海外の大学で「政治学」「公共政策学」を専攻しようと決めました。

カザフスタンでのインターンシップを終え、帰国したばかりの河本さん。数日後は台湾へ向かう予定とのこと。夏休みも大忙し。

メルティングポット(人種のるつぼ)の
アメリカへ

― 進学先に、アメリカ·プリンストン大学を選んだのはなぜですか?

まず、アメリカの大学を選んだ理由がいくつかあります。奨学金の選択肢が充実していること、アカデミアにおける実績が突出していること。そして何より、多様な人が存在していて、自分が海外進学する目的である「多様な社会に存在する様々な人、事象と自分を結びつける」という経験が豊富にありそうなこと。インターンシップや講演会など、機会が豊富な印象もありました。アメリカの大学には、広く浅く学べるリベラルアーツカレッジと、学びたいテーマを深掘りしていく総合大学の2つのカテゴリーがありますが、自分の場合は「政治学」「公共政策学」という専攻志望があったので、総合大学から志望校を絞っていきました。

新しい環境に慣れるまで大変だった大学1年目。同じく柳井財団奨学生としてプリンストン大学に進学した先輩・森田恵美里さんの存在が力になったそう。

プリンストン大学を選んだのは、公共政策の分野で有名な公共政策学院があったことが大きな決め手に。あとは、学部生が5,000人程度で、規模が大きい傾向にある総合大学の中でも小規模なこと、出願者がどれだけ奨学金を必要としているのかを見ないで選考してくれる「ニードブラインド」というシステムを、留学生にも導入していることも理由です。これは経済的な事情は考慮せず、純粋に優秀な学生を選抜しようというものなのですが、裏を返せば、本当に精鋭というか、ストイックな学生たちが世界中から集まってきます。そういった学生に囲まれて生活するのは、確かにモチベーションは上がるけれども、圧倒はされますし、自分に対して厳しくなりがちだというのは、人によって合う、合わないがあるかもしれません。

受験生の不安を煽る意図は全然ないんですけど(笑)、正直、僕が渡米してすぐは、期待値が下がるようなことばっかりで。入学後のオリエンテーションを通してもっとプリンストンの良さを知るはずだったのが、1年次の1学期は全てオンライン。それで2学期目、キャンパスに戻れたのはいいものの、いきなりストイックな環境に飛び込むという状況になってしまい…。一人一人が独立して自分のやりたいことを目指すという、個人主義的な、ちょっとトゲトゲした感じが見受けられてショックではありました。

さらに、COVID-19の対策がうまくいっていなかったり、「Black Lives Matter」の運動に世論が割れていたり、連邦議会襲撃事件が起こったり…。多様性の良さを期待して渡米したけれど、多様性があるだけでは必ずしもうまくいかないのだと、目の前で突きつけられましたね。何かしらお互いの理解がないと、多様性は逆に分断を広げてしまう可能性があるのだなと痛感しました。

ボローニャ大学留学時、講義で取り上げられた図書「La Chiesa di fronte alla criminalità organizzata(組織犯罪と対峙する教会)」。
ローマ・カトリック教会のフランシスコ法皇がマフィアに所属する人々を全員「破門する」と宣言した一方、貧しさゆえに犯罪組織に取り込まれる人々の状況、イタリア社会と教会刑法が抱える課題を扱った一冊。

価値観の違いを体験する日々が、
豊かな視点を耕す

― 初めての渡米、大学生活、不安定な社会情勢と、いろいろな要素が重なりキツかったのではないかと思います。その大変な時期を、どうやって乗り越えていきましたか?

アメリカの歴史の中でも、結構どん底に近いタイミングにいるなという感覚はありました(笑)。だから、これ以上悪くなることはないだろうと考えるようにしたのと、学びを楽しむことに意識を向けました。プリンストンに来た目的に立ち返って、探究することを楽しもうと。あとは本当に日本人の先輩の存在が大きかったですね。財団1期生の森田恵美里さんから、「1年生だから大変なんだよ」「この1年が終わったら、少しずつ楽になるよ」と励ましの言葉をいただいて。それでどうにか1年目を乗り切った後の2年目、後輩のためのオリエンテーションやインターンシップといった学内外の活動が復活してきたこともあり、ようやく明るい部分が見え始めたんです。

友人のネットワークもでき始めていたので、学生一人一人のユニークさに意識が向くようになり、同時に自分の居場所を見つけられた実感がありました。自分も含めてそれぞれユニークさがあるからこそ、過度に他人と比べる必要はないと楽になった気がします。それに、何よりキャンパスでの講義が楽しくて、充実している実感がありました。

― その楽しかった講義はどんな内容のものだったのですか?

「苦しい経験や葛藤は無駄じゃない。自分を信じ、やりたいことを大切にしてしてください!」

「Grand Strategy」という、政治と歴史を組み合わせた講義です。日本政治学会内でも名を馳せる、プリンストンを代表するような教授2人から、各時代の様々な地域の国策、国を動かす大きな戦略について学ぶもので、毎週500ページのリーディングがあってすごくキツかったんですけど…、古くはギリシャ時代から、各時代の政治学者の著作を読み、議論をするのが楽しくて。ただ教授の解釈を学ぶんじゃなくて、その政治学者の考えを自分なりに解釈していき、ひいては今までの人類の政治を自分なりに咀嚼するという感じで、すごく刺激的でした。

クラスメイトはアメリカ育ちの人たちが多いので、彼らはいわゆる合理主義、リアリズム的な視点から見ることが多いんですが、僕はリアリズムだけじゃなくて、例えば孫子が説いた「勢」の概念のように、物理的な力で相手を負かすのではなく、その時々の社会情勢を理解して波に乗れば、社会の団結はあり得るという儒教的なやり方もありだ、と思っていて。でも、それにアメリカ育ちのクラスメイトたちは驚くし、驚いている彼らを見てまた自分も驚くという(笑)。そういった違う価値観を持つ人たち同士の反応を直で体験することも含めて、国際政治、公共政策に携わる上での土台が培われた気がしています。

あとは、イタリアへの交換留学プログラムに参加したのもいい経験でした。プリンストン大学と提携のあるブラウン大学が提供するプログラムで、イタリア·ボローニャ大学で半年間、現地の学生に交じって学びました。戦後のイタリア政治を俯瞰して学んだり、ローマ教皇庁の影響を受け続けるイタリア社会における宗教と異文化に関する法律学の講義を受けたり。大学1年次から学び始めたイタリア語を実践で使いたい、という動機からの参加だったんですが、滞在中、なんだか自分の原点に戻った感じがしたんですよ。それこそ中国語を習い始めた時の初心に戻ったというか。

ボランティアとして加わったフードバンクで出会ったボローニャの人たちの、困っている人を放っておかない姿勢には学ぶところがすごくありましたし、コミュニティ意識の強さなど、日本と似ているなと感じる部分も。こうやって、別の社会で生活し、いろいろな人たちと触れ合う機会を得たことで、小学生の頃の自分が感じていた、自国とは違う国と真剣に向き合うことへの想いが蘇ってきたのは、自分の将来を考える上でもとてもプラスになったと思っています。

「いつか外交官としてイタリアに赴任し、もっと長く地域の人たちと関わってみたい」と話す河本さん。

一度は諦めた外交官への道
やりたいことを貫く

― 高校3年生当時は、将来の目標を「日本のシンクタンクで、国際分野における研究、政策提言を行いたい」とされていました。今は、どんな未来を描いていますか。

卒業後は、日本の外務省での就職を第一志望で目指しています。実はもともと外交官になりたかったんです。でも、「日本の大学に入っていないと、日本の省庁への就職は難しい」と聞いて、高校3年生当時は外交官になるのを諦めていました。でも、大学主催の講演会などで外交に携わってきた方々の話を聞いていると、すごくやりがいを持っているというか、会う人みんな目が輝いていて。自分のやりたいことを突き詰めるためにプリンストンまで来たんだから、最後までやりたいことを貫こうと思って、今年、国家公務員採用総合職試験を受けました。なんとかギリギリ合格できて、ホッとしています…。できれば外務省に入省して、国際社会の舞台裏で、リーダーシップを発揮する日本の外交の発展に寄与したいと考えています。

College Life

モットーは「Wanderlust」と「Immersion」
探究心を忘れずに、より良い世界に貢献したい

自分のモットーは「Wanderlust(探究心)」と「Immersion(溶け込むこと)」。未知なる世界に飛び込んで、深く掘り下げてきた経験を生かしたいし、これからも「Wanderlust」を持ち続けたいなと。加えて、相手のアイデンティティに溶け込み、相手の視点も忘れないよう心がけて、日本の外交に携わっていきたいです。「和」という協調的精神がある日本だからこそ、できる役割があるはず。それに、多様性の影の部分をバランスするアプローチとしての協調性、という可能性もあるだろうと思うので、より良い世界のためにできることを考え続けていきたいです。

― 最後に、海外進学を考えている中高生の皆さんにアドバイスをお願いします。

イタリアに目を向け始めたのは、UWC時代に仲良くなった友人がきっかけ。友人たちとの交流が、河本さんの興味関心の幅を広げてきた。

これまでを振り返って思うのは、自分の住む世界がマクロになればなるほど、自分の中のミクロのことが分かってくる、ということ。違う国に足を踏み入れて、外の事情を探っていくうちに、今までは近すぎて見えなかった自分の輪郭がはっきり見えることがあります。最初のうちは、自分が信じていた日本での価値観に疑問が生まれたり、時にはその価値観が壊れたりして、絶望するし、苦しいけれど、そのステップは無駄じゃないと思うんです。僕の場合は、新しい価値観が組み合わさって自分が作り替えられるたびに、自身の輪郭が定まり、それこそ本当にやりたいこと、大切にしていることがはっきりとした感覚がありました。だから、進学先を考える時には、就職に有利だからみたいな現実的な要素よりも、できればもっと自分のやりたいことを大切にして、自分の世界が広がる道を選んでほしいなと思います。

河本航志 2020年入学 第4期生

プリンストン大学

UWC Changshu China出身

高校2年生までを日本で過ごし、インターナショナルスクールの中国校へ転入、卒業。趣味は写真、ランニング。プリンストン大学でも行き詰まった時には走りに行き、気分転換をするそう。

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